どうも、はぱをです。
最近、いや、もうずっとTRPGの遊び方については議論がなされていますよね。
「RPという枠の中にある演技と行動宣言について」
「それクトゥルフじゃなくてもいいだろ、他システムでやれ問題」
最近だと「立ち絵描ける人限定卓がうんたら~」みたいな話も出ていましたけど。
これらの議論が巻き起こるのは、TRPGの遊び方に「これ」という正解がないからです。
今回は、そんな「TRPGの遊び方」について考えてみたという話です。
その人が楽しいと感じる遊び方が「正解」

もう一度言いますが、TRPGの遊び方に正解はありません。
しいて言うのであれば、私は「その人が楽しく遊べれば、それが正解」だと思います。
そして、TRPGは自由度が高く、自分の楽しい遊び方に近づけるのはかなり簡単です。
はじめは自由度が高いがゆえに戸惑うでしょうが、慣れてくると自分の楽しいと感じるやり方で遊ぶことができるようになります。
だから、ひとりひとりが自分の楽しい遊び方をしているうちに、その遊び方は多様化してきたのでしょう。
ゲーム性に重きを置いて、ゲームクリアを淡々と目指すのが好きな人、
うちよそを組んで、切ないRPをしたり、その思い出をイラストにするのが好きな人、
プレイヤーとしてではなく作り手として自分で作った物語をシナリオとして遊んでもらうのが好きな人、
演劇をするようにキャラクターになりきって、そのシナリオの世界を楽しむのが好きな人、
どれもその人にとって「楽しい」のであれば、それが 間違いなく「正解」なのです。
たとえそれが本来想定されている遊び方でなかったとしてもですよ。
それぞれの「正解」の積集合が「最適解」のセッション

しかし残念ながら、基本的にTRPGはひとりでは遊べない遊びです。
ほとんどの場合、誰かと一緒に遊ぶことになります。
また、その誰かはその誰かなりの「正解」を持っています。
それがあなたの「正解」と全く同じであるということはまず考えられません。
では異なる正解を持っている場合、そのセッションにおける「最適解」はメンバーの「正解」が重なり合うところにあるのではないでしょうか。
つまるところ、積集合です。

この紫色の部分を目指すのが「最適解」であり、かつ、この範囲が広ければ広いほど、より楽しいセッションができる可能性が高くなるのではないかと私は考えます。
なぜ和集合ではないのかというと、和集合の場合、たとえ嫌だと思うことがあったとしても我慢しなければいけないということになるからです。
まあ、これは遊びにおいて「複数のやりたいことの内いくつかを我慢する」より「複数のやりたくないことのうちいくつかをやらされる」方がストレスであるという考えに基づくものなので、そうじゃない人からしたら和集合の方がいいのかもしれませんね。
ただ、今回はそういう視点から考えていくのでご了承ください。
自分の「正解」に引き入れたくなる気持ち

では、どうすれば積集合の範囲を広げることができるのでしょうか。
その解決法はざっくり分けて、ふたつあります。
- なるべく自分の正解と近い正解を持っている人と遊ぶこと
- 他の正解を誰かの正解にしてしまうこと
①は言わずもがなでしょう。
TRPGを遊ぶ上で「相性の大切さ」を感じたことがある人は少なくないと思います。
そして「長く遊んでいる内にいつも遊ぶメンバーが固定されてきたな」という現象が起こります。
私はそれでいいと思います。皆がより楽しく遊べるのであればそれがベストですから。
だから、「こういう人と遊びたくない」「この人とは合わない」と感じるのであれば、離れるのも手だと思います。
遊びなんですから、わざわざ無理して合わない人と遊ばなくてもいいのです。
そうやって、なるべく積集合が大きくなる人とだけ遊んでいくのもアリだと思います。
「~すべき」論は②の解決法に当たります。
自分の「正解」を他人にも「正しい」と理解してもらうための発信が「~すべき」という話です。
ただここで注意してほしいのが、本人からしてみれば、「間違い」を正してあげているという状態であって、悪気はないということです。
私も以前やらかしたことがあるので、自分の楽しいと感じている「正解」に引き入れたくなる気持ちはわかります。そして、それはほとんどの場合、善意なのです。
し、②の方法は決して間違っていません。
もう一度言いますが、全ての人の「正解」は間違ってないんです。
そして、その正解はずっと固定ではありません。様々な経験を積むうちに変化していくこともあります。
変わっていくことは悪いことではありません。ただ、変化を誰かに強要するから反発されるのです。
だって、無理矢理自分の解答を「不正解」にさせられるなんて誰だって嫌ですもんね。
だから②の解決策を用いる場合は「こういう正解もある」「私はこういう正解を持っている」というすり合わせ程度に収めておくのがいいのではないかと思います。
くれぐれもあなたの「正解」が全体の正解であるかのように語らないことをおすすめします。
もしくは、あなた自身が勝手に変化するのであれば、誰も咎めはしないはずです。
まあ、これは咎められたくなければ、嫌がられたくなければという話であって、それが平気なのであればじゃんじゃん「~すべき」と発信していけばいいと思います。
私はTRPG界隈の議論を見るのは嫌いではありませんし、「そう考える人もいるんだなあ」と新鮮な気持ちになれますし、新たな発見があるのも確かですから。
そう、私のこの記事もある意味、私の正解を押し付けているということに他なりませんしね。
多種多様、自由な遊び方ができるからTRPGは面白い

結論として、TRPGは多種多様であるからこそ、それぞれが自由に遊べるからこそ面白いんだと思います。
これは極端な話ですが、もしTRPGが「こういう場合はこうするべき」という全体一致の「正解」に則ってプレイしなきゃいけない窮屈なゲームだったら、私はやってないなと思います。
何故か。
つまんないから。
飽きるし。
TRPGはあくまで遊びであって、義務的なものではないので、「~すべき」なんてそもそもないんですよ。
でも、バシバシ議論はなされていい、楽しく遊ぶためにも自分の「正解」を提示してすり合わせていくのは、悪いことではありません。
別に、散々議論して和解できないと感じたら離れればいいだけですしね。
さて、ここまで私は「より自分が、できれば皆が楽しく遊べればいい」という視点で話してきましたが、「そもそもTRPGは楽しむものではない」という人もいるかもしれませんね。
しかし、それもまたその人にとっては「正解」なのです。
まあ、私はそういう人とは遊ばないだけなんですけどね!!!あばよ!!!!!
■併せてこちらの記事もどうぞ!■
この記事いいねと思ったら、Twitter(@retasunoseirei)のフォローもよろしくお願いします。
新着記事のリマインドをしていますので、すぐに次の記事が読めますよ!